生きていくための「たね」がない
知識が先ではなく、
生きていくための「たね」(知恵)
勉強するもと いろいろな経験 が先
この順番を直すのが大切だと思います
たねがあって 工夫して
またそこで工夫する力が強くなる
= これが先人の知恵
知識となったものには その過程の部分がありません
たねをもってきて過程を踏ませることが大切
ここで必要なのが
子供の尊厳 ←親のコピーではない
親の果たせなかった夢を 子供に課して
自分の人生のコピーをなぞらせるような親のやり方は
子供の尊厳を破壊するようです
その結果、自分でものを考えない 奴隷ぐせがつく と思います
「子供の単位」
大人になるために
子供の時にこなさなければならない経験を指して
「子供の単位」とします
小学校低~中学年では たくさん遊ぶ が子供の単位
小学校高学年~中学校では 現実が見えてくる頃
社会とのつながりで
人生のきっかけとなるようなできごと、経験で
自分の特徴や特性を知る
その先に進むための単位が必要
ここで アクティブラーニング
主体的に学ぶことが必要と考えます
「子供の単位」は大人になってから取得しても
意味合いのちがうものとなってしまうように思います