楽して命を削る
節約とか、ケチったりするのは楽して命を削っている感じ(=苦労する)
一方、
無駄をなくすは 楽しないこと
×苦労しない ではない
×苦労する でもない
楽しない を強要されると苦労に感じると思います
自ら 能動的にみつけていけると
苦労に感じない (逆にみつかるとうれしい)ようです
→成長の元
ケチったり 楽したり 苦労したりするのは方向性逆で
逆を正当化しているだけだと思います
自分から能動的に楽しないを考えているとは思えない・・・
苦労しないの選択肢は「何もしない」「取る」
苦労しないには 考える以外にも選択肢があります例えば
①何もしない
②取る(人の時間、物品、根気等 奪う)
でも楽しないは能動的で選択狭まります
楽しないでちゃんとまめまめしくすることで
得られるものを得ている・・・
このサイクルを身に付けた、探し始めた人はおおむね同じ方向を向き
同じものが同じように見えて感じることができるようです
だから空気が読める と考えます
苦労しない人は 同じ方向を向けなくなるようです
苦労する人も同じ・・・
苦労させずに何不自由なくし
苦労の代わりに勉強させる・・・
楽することをしなければよいのに
苦労と思わず まめまめしくする
「楽しない」学ぶのは 小学5,6年、中一、二年まで
とくに小5,6年の頃が一番大事この頃、テクニカルなことができるようになり
脳がつながり、自分の人生が見えてくるようです
→子供の考えから脱却
この時期に「楽しない」感覚が入れば
あとはある程度勝手に回るようです
苦労強いる親は
小学校5,6年→そのままスルー
中学校1、2年→塾
楽しない感覚で 知恵使って脱するのが大切なのに
子供に苦労はさせたくない
楽もさせたくない
自分で能動的に、苦労を苦労と思わなければよいと思います
「ほめる教育ではなくほめられる子をつくるべき」
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