しまピーマン

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しつけは学べない人を作る

論理的に色々な経験を積み
その経験が全てつながっていることを知り、理解する
奥行のある人間を育てていきたい
しつけはただ記憶するだけで 背景、つながりを全く知らなくてもできること
一般的に教育という言葉でくくられていますが
学業についても、しつけ的に覚えるのと
教育(論理的な)で 学んでいくのと2通りあると思います
前者は意味もなく数式や単語を覚えるだけのように なってしまいます
けれども、教育(論理的な)で学ぶことは
数式の意味を知ることと単語の意味を知ることだと思います
ですが、まともにこれをすると 膨大な時間がかかります
しかし、日常の中に数式のタネ、単語のタネが
あちらこちらに転がっていたりします
それをその時に数式や単語を結び付けて学んでいけるなら
自然と身についてしまうもののようです
教える側の器量次第では 高校で学ぶことさえも日常の中に見出すことができます

例えば スイッチ

スイッチを2個につなぎ 電池で豆電球を光らせる回路
回路と集合「しつけは学べない人をつくる」
スイッチa,bを直列につなぐ
→aもbもONでないと点灯しない
スイッチa,bを並列につなぐ
→aかbがONであれば点灯する
aがONの時をA、bがONの時をBとすると 
電球が点灯するのは
直列では A∩B
並列では A∪B の時
これは中学高校でやる集合の所につながっていく
そして電子の方へ進むとロジック回路というものにつながっていったりします
ちなみに高校で学ぶ集合はロジック回路と全く同じものになっています
このように比較的身近なものを掘り下げることによって中学・高校で学ぶことは意外と身近なものだったりするものなのです

電気や電子寄りの知識を

それ故、どちらかというと電気や電子寄りの知識がある方が 高校で学ぶことが網羅できると思います
そのまま 電子電気でもいいですが それを踏み台にすることによって 化学、生物、医学にもつながっていき、
踏み台としてその考え方は使えます
そこで学んだ論理的思考は無駄にはならない
むしろ論理的思考が強められ、学ぶための下地として使えると思います
無駄こそが論理のタネであると思います
効率化を求めるなら しつけてギューギュー覚えさせればよい (当方の考え方には合いません)
この感覚、こういう風にして学ぶのが文化だと思います (これができない家は しつけだけで終わってしまう)

しつけ=文化 になってはいけない

しつけは  受ける側が意味も理解していないし、その場を取り繕うだけ が成り立ちます
応用が利くのが 文化
応用が利かないのが しつけ
例えば 親にしつけるつもりがなくても
受け取る側が意味を感じずに受け取ってしまうなら
それはしつけになってしまう
「早期教育」といっていますが 子供が意味もわからずに、
その場を取り繕うために覚えているだけだったらしつけとなってしまう・・・
「早期教育」を否定しているわけではありません
受ける側が しつけとしてとらえていませんか?
その問いが 教育を発する側にあるのかどうか・・・
発する側が言う わかった? に対して わからない を言わせないのは  しつけ です
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