しつけと教育の違いは
しつけ=「言ってわからない者」にすること(自ら「自分の言うことわからないだろう」と思いしつけている)
↑(裏のメッセージは「人の尊厳の否定」)
「言ってわからない」と思っている
↓
えさ(報酬)で釣ったり 嫌なこと(罰)で
「自分の意図通り」の行動を強いる
しかし 本人に必要のないことは 全て
犬のしつけで例えると「お手」「チンチン」と同じで
意味がないと思います
教育は
教育=教えればわかる が前提(人の部分の尊重がある)
(説明できないことは 強要すべきでない)
しつけで育てられた人の考え=「教わっていないことはやってはいけない」
犬で例えると
犬(座敷犬)で考えると(警察犬・盲導犬などの職業犬は除く)野良は無知ではなく、
犬レベルの教育( 狩りをしたり 子を育てたり)があります
人間はより高レベルで教育できるのでは?
しつけ=バカにしている行為(上から下に) と言っても過言ではない
少なくても 人から人へはやってはいけない
しつけ:
人間→犬 では成立する
人間→人間 では 飼い犬みたいな人間になる
(言ってわからないが前提なので)
しつけを受けた結果
本人が 「犬になることを望む」 ということが発生します(その反動で やたら 人権、個人を主張するのではないでしょうか)
飼い犬が飼い主になったところでコマがない
(お手 のやり方を強要するだけ)
飼い主ぶったところで中身がない
(教育がない状態で終始)
本来は教育を伝承しなければならないのでは?
(天と地くらいにちがう)
「しつけは教育を阻害する」
しつけ←侍従関係しかないしつけを受けた人:ベースが「しつけ」
→だから 聞かない (根拠がないことを強要しているため)
しつけが原因の間違った考え方:
餌もらえる(殴られる、怒られる)から する/しない
(親の意図だけで 意味をもたないので)
教育(教え、育てること)=共有物
(共有できる財産ができる事が何よりと考える)
見返りを期待するものではなく 、全体が改善するための共有財産
ここでいう教育= 日常のすべて(学校教育だけでない)
しつけ←「しつける側の意図・都合」のみ
しつける側は 見返りを求めている
しつけの親の考え→「しつけないと野良になる」自分が「育つ」という概念が大事
◎自分が育っていくように 努力する
◎前向きに色々取り組む・・・
「しつけ」⇔「育てる」 (正反対)
しつけ⇒「自分でもの考えて動く」が欠落
例)靴下を履く
しつけだと
靴下を履かない という選択肢も取り上げ
意味もなく 強制する
(靴下を履く理由を説明できないのに 強制すべきでない)
しつけ(躾)の結果⇒ 身は美しいが中身がない⇒意味がない
関連 しつけの問題点 1)しつけと放任 2)しつけと所有 3)しつけは学べない人を作る 4)しつけと人権・人格 5)最初に木を植えるのは親 6)しつけは答えの押し付け トップページへ