無知は知恵がなく、無教養は知識がない
無知無教養と言いますが、ここで無知=知恵がない状態
無教養=知識がない状態
と仮定します
ありがちなのが
「日常の不足」を何とかしたい
↑頭つかう(これが知恵)
↑(論理的思考をする機会)←ここで人の「枠」の部分ができる
この「何とかしたい」がないのに
知識だけを積み重ねる状態
(この状態を避けなければならない)
学校:◎知識は教えるが△知恵は教えにくい
知恵=不自由を乗り越える力 (乗り越えた後、それが知識になり定着)
不足を別の手段(お金、物質、サービス等)で補う
→知恵を使わない
→人の「枠」の部分=人格 は作られないのでは?
関連:
最初の枠は親が作る
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悪い連鎖と良いサイクル
子供の時に良い経路をつくるのが大切だと思いますそれは
できないという自覚
→工夫する、知恵つかう→解決
→知識になる→新しい問題・壁→最初に戻る
この繰り返し
今のお母さんは優秀過ぎて
このサイクルを 断ち切るようなことをしているように思います
親自体がもっていない場合は
そのサイクル自体を構築してあげることができないようです
「気の利く優秀なお母さん」は自分自身が優秀であることを
ひけらかすだけで子供の成長には毒になるのではないでしょうか
だからと言って無神経な放任ではなく
上記のサイクルを優しく見守ってあげられる度量が必要と考えます
他に何を言われようと
子供が困るまで見守ってあげられる強さがお母さんやお父さんに必要であると思います
例:忘れ物しないように全部揃える親
親は立派ですが、忘れ物して痛い思いしてその時にそのサイクルを適用して解決していく・・・
そのサイクルを 子供に身につけさせる
その間 先生や他の人間にいろいろ言われるかもしれませんが
それは 子供のためにならないのではないでしょうか
現在は
放任 か 優秀 なお母さん の
どちらかしかない・・・
結果、優秀なお母さんの陰で 問題を解決できない子供が
大量に発生しているようです
この傾向は 現在昭和40年代後半の親が子供の頃あたりから始まって
現在、三代目を作っている・・・
悪い方の連鎖が 続いていませんか?
できるようになることが目的ではなく
問題が発生したときに乗り切る ←このサイクルを 子供に身につけてほしい
これが しまピーマンのアクティブラーニングで
やりたいことです
このサイクルがないと
必要以上に落ち込んだり、変に張り切ったりして悪化する ←これは「負のループ」
変に張り切る→失敗→落ち込む→また変に張り切る
悪循環の元
親や社会からの自己肯定の強要から生まれた 「根拠のない自信」で張り切っても邪魔になるばかり・・・
落ち込んで、 資格を取ろう
何かを学んだら・・・
スポーツする・・・
これも負のループの一環
発奮するような変なはりきりは知恵も身につかないし壊れる原因になるようです
先回りして 子供が失敗して落ち込まないようにスポーツ、塾などに通わせる親も多いですが 本当にそれでよいのでしょうか
お金もかかることですし・・・
関連:
スポーツ、勉強 優劣と挫折
これで失敗すると
「これだけお金かけたのに・・・」が出ちゃいますよね?普通
子供もそれを感じ取りますよね?
他から見たら、投資目的でお金かけてるようになっちゃってませんか?
昭和40年代前半生まれの子供達から
この傾向が なんとなく増え始め
昭和40年代半ば過ぎから かなり蔓延した
これを受けた子供は
「もっとお金をかけてもらえば、もっと優秀になったのに」
と 大人になって思うようです
特に 最近の傾向として
40年代半ばに蔓延したやり方、つまり
その年代を過ごした親達が「自信がないから 自信をつけさせる」
という安易なやり方で親の劣等感の裏返しとして子供にしているようです
これは 西洋医学的 対症療法 だと思います
落ち込むだけでなく
工夫したり知恵で乗り切るのが大事で
落ち込む一方だったり放棄したりするのはダメ
このサイクルは当たり前に身につくことではなく
わかっているけど流されてしまう人が多いようです
わかっているけどやっちゃうんじゃないでしょうか?
お子さんに対して 工夫させてあげようとしても
そのサイクルで動くことの
難しさに気づくかもしれませんよ
関連:
伝承されていない知恵は伝承できない 「我」は捨て駒
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